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  • mizushimapro

愉快な位牌たち(歌うお経を求め倍音で喜ぶ)

更新日:2022年2月21日

 事の発端は、我が神戸不思議研究所の研究員であり、霊能力者でもある「まなみん」の言葉だった。その内容をかいつまんで言うと、「まなみんの友人のEさんが、宝蔵寺(奈良県宇陀市)のお位牌が呼んでいるから、所長も一緒に行きませんか?」と言う事だった。奈良県の宇陀といえば、四方を山に囲まれた高原都市である。


もちろん、神戸不思議研究所の所長としても、”境界を行く者”の二つ名にかけても、まなみんに同道するのは当然だった。位牌が現世に呼びかけるなんて、その内容への好奇心はとても抑えきれるものではなかった。


結局、縁があって奈良県宇陀市へは、私を含み4人で行く事になり、車に乗り込んで移動した。期せずして、宇陀市の宝蔵寺につくまでに、この4人旅に尋常ならざる力が働いている事を感じたのは、途中で立ち寄った高天原での出来事だった。


地元の観光パンフレットにもある「天地のはじめ神さびし高天原」とはまさに、天上の神々の世界を想わせる神秘的な場所である。そこで4人でお祈りし終わると同時に、17時のチャイムが辺りに鳴り響き、日の光がまっすぐと私達に照りこんできたのだ。



この旅に、何か神々しい縁を感じたが、その後、通りすがりの大学生の男性2人に出会い、我々が宝蔵寺へ行く要件を聞くと、彼らも同道する事になった。この2人との出会いが後々、意味があった事に気づくのだが、何やら不思議な縁に囲まれた今回の旅に、私の期待と好奇心は高まっていった。


途中、車がスタックしたりと不思議な事がいくつかあったが、無事に宝蔵寺へ到着すると、さっそく、霊能力者のまなみんが、お位牌の語りたかった内容が明らかになった。その位牌が我々に伝えたかったのは、なんと!!


「もう少し寺の環境を良く、きれいにして欲しい、そして般若心経を挙げて欲しい」


との事だった。どうやら、ここ宝蔵寺の歴代住職は皆、旅人が務めたため、仏の道に精通しているわけではなく、寺守りのような感じだった。今の住職の前は外国人の方が数年、寺守りを務めていたらしい。



般若心経というと、天台宗・真言宗・臨済宗・曹洞宗・浄土宗などのお葬式で、広く読まれるお経だ。我々はさっそく、そのお位牌の言う通り、①お位牌の掃除、②般若心経の読経を行う事にした。しかし・・・ここ、宝善寺には100体余りのお位牌がある。(こんなたくさんのお位牌の掃除って、怖いなぁ)っと躊躇した私を見透かすように、まなみんが「所長は、前世が坊さんやから大丈夫!」っと、何とも複雑な心境になる励ましをもらった。どうも釈然としないが、霊能力者のまなみんがいるから大丈夫か・・・な?っと無理やり自分を納得させて、お位牌をお掃除した。



そして、前世が坊さん・・・か実感はないが、私は般若心経が得意なのでお唱えした。すると、お位牌から「もっと、歌うように・・・」と注文が?あったみたいで、(歌うって言ってもなぁ)っと思いつつ、どうやら位牌が融通念仏宗という宗派らしく、スマホで検索すると、とてもリズミカルなお経らしく、これはさすがに出来ない~と思い悩んでいると、まさかの、昼間に偶然出会った男性二人組。一人の方が大学で声楽を学んでるとのこと。


そこでみんなで倍音を響かせのはどうだろう?と言う事になり、皆で倍音を響かせたり、

鼻歌を歌ったり、(これはお経なのか?)っと疑問に思ったが、どうやら、お位牌達はとても喜んで下さった。ようである(まなみん談)


その夜、実はシビエ店主をしているという、Eさんに鹿鍋をご馳走になった。




ジビエ料理にありつけるのは予想外だったが、今回の宝蔵寺への旅は、時間が止まったかのような、不思議な雰囲気に終始包まれた境界の向こう側での出来事だった。そして、なぜかまたそのうち呼ばれるだろう・・・という感覚が私にはあった。まさかこれが、現実のものになろうとは、この時の私には知る由もなかったのである。



P.S 今回宇陀市で立ち寄った場所↓


・八咫烏神社

・長谷寺

・阿紀(あき)神社(元伊勢)

・倭姫命(ヤマト姫)

・高天原

・照巣 (阿紀神社旧社地 倭姫命祭祀場)


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